コロナを機に、職場でお土産を配る文化を廃止しよう――。
いったい誰が始めたのかこの文化。
僕はお土産を何にしようか気を使いたくないからお土産を買っていかない派です。
休暇を取って相手に迷惑をかけるのはお互い様なんだし、そういうものだと思って気にしなければ良いのに。と思います。
むしろお土産一つ配ったくらいで許してもらおうだなんて虫が良すぎる話。
仕事の借りは仕事で返せ。 と思います。
年賀はがきを止める人や飲み会に行きたくない派がいっぱいいるこのご時世、僕みたいな人はごまんといるはず。
仕事に必要な親睦くらい、仕事中に深めれば良いのです。
こうなってしまう背景には、有給が取り辛い企業文化(お国柄?)も相まっているのではないかと考えます。
有給が取り辛い中、旅行に行くのだから、お土産を買っていこうと考える人も少なからず居ると思います。
でも、よく考えてほしいのです。
Google翻訳で「お土産」を英語にすると「Souvenir」と出てきます。「Souvenir」の意味は「思い出の品」です。
英語圏では、お土産とは自分のために買っていくものであって、誰かに渡すものではないのです。
誰かに渡すものはプレゼント「present」といいます。
だから、どこかへ出掛けたからといって、職場の人に渡すためにお土産を買ってこなくても良いのです。
このブログの副題は「常識を疑い、固定観念を破壊する」です。
この記事では、職場でお土産を配るという固定観念について考えます。
なぜ、お土産を配る文化が日本中に広まったのか。
以下は私の考察です。
大企業や、公務員の仕業じゃないかと睨んでいます。
日本には中小企業が数多く存在し、その多くは大企業や官公庁から仕事をもらって飯を食っています。
大企業や官公庁というのは出張や転勤が多くあります。
大企業や官公庁勤めの彼らは、出世のために、上司に良く思われようとして、旅行や出張、転勤に行くたびにお土産を買って帰り、職場で配るのです。
中小企業勤務の人たちも、大企業や官公庁からは良く思われたいですから、当然これを真似しだします。
そうすると、日本全国津々浦々で、「前の職場ではお土産配ってたし、ここでも配っておくか。」という発想でお土産を配りだす人が大量発生します。
そうして日本全国で、旅行や出張などに行った際はお土産を買ってきて配るのがマナーだ。という風潮が出来上がっていったのです。
言うほどコミュニケーションの円滑には寄与しない
「職場でお土産を渡せばコミュニケーションが生まれる」と言う人がいますが、僕はそれほど寄与しないと思っています。
どうせお土産を渡しても会話のパターンは決まっています。
「これ、おみやげです!」
「どこ行ってきたの?」
「○○です!」
「へぇ~そうなんだ~。」
――終了――
大体みんなこんなもんです。
親しい人同士の場合はここから会話が弾んでさらにキャッチボールが続くのですが、
そんなに親しくもない人の場合、会話が発展することなんてほとんどありません。気まずさの方が勝ちます。
お土産を渡す側はどこで会話を切り上げて次の人に渡しに行こうか考えているし、お土産をもらう側も、親しくもない人の旅行話に興味ありません。よっぽど自分にとって関心がある場所でない限りは。
つまり、元々仲が良い人たち同士であれば会話のネタになり盛り上がりますが、それほど仲が良くない人にお土産を渡す場合は、会話があまり弾まないと思うのです。
職場でお土産を配ることを考えるとメンドクサイ。
コロナ禍じゃなくても職場でお土産を配ることを考えるとメンドクサイことはこんなにいっぱい! * 旅先で楽しんでるのに、仕事のことを思い出させるな。 * ○○さんにあげるなら△△さんにもあげなくちゃ。となって渡す人数が増える。 * 渡す人数が増えると職場に持っていくのが大変。 * 職場に持っていきやすいように、渡しやすいようなお土産を選ぶのが大変。 * お土産の数が増えるとなると当然、お土産にかかる金額も高くなる。(経費で落ちないのに。。。) * 上記のことを考えるから気を遣う。
こんなに気を使わせてメンドクサイ文化はなくそう。
未だにお土産配って喜んでる頭ピュアピュア野郎は時代遅れだぞ★
さいごに
家族や友人など、身内にお土産を配るのは良いと思います。ただし、職場でお土産を配る文化。テメーはダメだ。 このクソゴミ文化が根絶されることを切に願う――。